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高松高等裁判所 昭和43年(ネ)98号 判決

控訴人 松本小太郎

右訴訟代理人弁護士 岡本真尚

被控訴人 (旧姓高本)平岡覚十郎

右訴訟代理人弁護士 大野義忠

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は主文と同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上及び法律上の主張並びに証拠の提出、援用、認否は、次に附加するほかは、原判決の事実摘示と同一であるから、ここにその記載を引用する(但し原判決事実摘示〔被告の答弁及び抗弁〕の三に「昭和三九年五月末ごろ」とあるを「昭和三九年四月中ごろ」と、同〔証拠関係〕の二に「橋本又一」とあるを「橋本又市」とそれぞれ訂正する)。

(被控訴人の主張)

(一)  本件売買契約の履行が不能に帰した原因及び責任はすべて控訴人側にあり、被控訴人は(1)控訴人の道路用敷地を確保する債務の不履行(履行遅滞)と、(2)控訴人の民法五六一条にいう売主としての権利の移転不能を理由に、控訴人に対し本件違約金の支払いを求めるものである。すなわち、

(1)  本件売買契約には、その付属の約定として、公道から本件土地に通じる道路の敷設に関する定めがあり、売買契約締結後直ぐに控訴人において右道路用敷地を用意し、かつ控訴人の費用負担でその道路工事を施行することとなっていたのであるが、被控訴人が控訴人に対し本訴提起前数十回にわたり、右敷地の用意及び工事の施行を催告したにもかかわらず、控訴人は遂にこの催告に応じなかったものである。なお、右催告は、昭和四一年一月七日付の内容証明郵便によるもの以外は、すべて口頭で行なわれたものであり、その具体的な日時までは明確にできない。

(2)  控訴人は、本件売買契約締結後現在まで、本件につき手順として先ずなすべき自己のための所有権取得登記さえ実現できないため、約定に基づいて被控訴人に対して果すべき所有権移転登記を行なうことも遂にできないままの状態にあるものである。

(二)  控訴人主張の事実は争う。

(1)  殊に控訴人が当時道路用敷地確保のための手配を完了していたこと、被控訴人の本件土地の買受けの主な目的が土の採取にあり、所有権移転登記の遅延などとるに足らない事柄であったとの点を争う。

(2)  被控訴人は控訴人の言を信じ、本件土地が同人の所有であり、従って約定期限までには当然移転登記もできるものと確信して本件売買契約を締結したものであるから、被控訴人には、控訴人に対する損害賠償の請求の妨げとなるべき事由は全くないし、仮りに、被控訴人において本件土地が当時控訴人の所有名義でないことを知っていたとしても、この事実は、本件手附契約の約定の趣旨からみて、控訴人が本件違約金の支払いを拒むことができる根拠にはならない。

(控訴人の主張)

(一)  控訴人には債務不履行など責められるべき落ち度はない。

(1)  本件売買契約において、付属の約定として、控訴人が道路用敷地を用意する旨の定めがあったことは認めるが、しかしその道路工事は控訴人ではなく、被控訴人の方で施行する約束であり、しかも右敷地の用意には格別期限の定めがなく、控訴人が被控訴人からその主張のように度々の催告を受けた事実もない。控訴人は売買契約締結後間もない昭和三九年五月中にはすでに関係敷地所有者らと交渉してその承諾を受け、敷地確保のための手配をすべて完了した後、その旨をその頃被控訴人側に連絡したのであるが、被控訴人の方が道路工事の施行に及ばなかったものであって、控訴人にはこの点の債務不履行はない。

(2)  被控訴人の本件土地買受けの主な目的は、そこから埋立用又は壁用の土を採取することにあり、もともと本件土地の登記名義などは被控訴人にとってさほど重要な事項でなく、従って所有権移転登記の遅延などは被控訴人としてとるに足らない軽微な事柄にすぎない。このことは、右登記を行なう時期の定めとして「農地改廃後」というばく然とした文言の記載がある点からも推測できるところである。しかも登記の遅延はひとえに本件土地の前主(農地解放による被買収者)の違約が発端であり、原因となつたものであるが、控訴人はその事態をそのまま放置していた訳ではなく、右前主らを相手として移転登記手続請求の訴(松山地方裁判所昭和四二年(ワ)第四五九号事件)を提起し、遅延解消のため極力努力していたものであって、この点においても、控訴人として責められるべき落ち度はない。ただ被控訴人は、結局本件土地から土の採取を行なわなかったのであるが、これは専ら同人の側の都合によるものであつて、控訴人側の事情によるものではない。すなわち、控訴人は、売買契約の当初から手附金の入金と同時に被控訴人が本件土地から土を採取することを承認していたし、しかも本件土地は古くから控訴人自身が占有、耕作中の土地であるから、これを被控訴人に引渡し、使用させることに対する障害は実際上も全くなく、被控訴人さえその気になれば、何時でも土を採取できる状況にありながら、被控訴人があえて自らその採取を行なわなかったものであるからである。

(二)  控訴人には手附倍戻しの約定による違約金を支払うべき義務がない。前記のとおり、控訴人には債務不履行の責められるべき点がないのみならず、

(1)  控訴人の方には右違約金の支払いを拒むことができる事由がある。すなわち、本件土地は農地買収の結果控訴人の所有に帰したものであるが、本件売買契約の当時まだ控訴人の所有権取得登記がなされていない状態にあつたので、控訴人はその間の事情を説明し、被控訴人がそれを納得のうえ売買契約を締結したのであるから、被控訴人としてはもとより、当時控訴人が本件土地の登記名義人でないことを十分に承知していたものであつて、これは買主の被控訴人が売主の控訴人に権利が属しないことを知つて売買契約を締結した場合に当り、違約金等の損害賠償の請求が許されない場合に該当するからである。

(2)  被控訴人は自からの都合で、控訴人側に責められるべき何らの落ち度もないのに、本件売買契約を破棄する旨の申入れを行なつたものである(原判決事実摘示〔被告の答弁及び抗弁〕三の被告の主張)が、かような買主側からの破棄申入れの場合にまで、手附倍戻しの約定に基づいて、売主としての控訴人が買主の被控訴人に対し責任を負担すべきいわれがない。

からである。

(証拠)≪省略≫

理由

一、本土地につき控訴、被控訴人間に昭和三九年三月四日、被控訴人主張のような内容の約定による売買契約(本件売買契約)が成立し、その約定に基づき右同日、買主の被控訴人から売主の控訴人に対し手附金一〇〇万円が支払われた事実は当事者間に争いがない。

二、そして本件売買契約については、≪証拠省略≫を綜合すれば、その契約締結の経緯として(1)本件土地はその元所有者から農地買収の結果控訴人の所有となつたものであるが、(2)農地委員会係員の手落ちにより、控訴人の所有権取得の登記手続が行なわれないまま多年放置されていたものであること、(3)そこでその善後処置につき農地委員会が関与して関係当事者間で交渉が行なわれたが、それがはかばかしい進展をみない状況にとどまつていたこと、(4)その後本件売買契約が締結されるに至ったのであるが、その際控訴人は被控訴人に対し、本件土地の登記簿上の所有名義がまだ他人名義のままであること並びにその間の事情の要領を告知したうえ、自分なりの楽観的な見通しに基づいて、被控訴人に対する所有権移転登記などのできる見込みの時期を予測して、その期限の時期を約定したものであることなどの各事情(原判決四枚目裏五行目から五枚目裏一行目にかけて認定の事実)があることが認定でき、原審並びに当審における控訴、被控訴各本人尋問の結果中以上の認定に反する部分は措信できないし、他にこの認定を動かすに足る証拠がない。

三、ところで、当事者間に争いのない本件売買代金(三〇〇万円)と手附金(一〇〇万円)の各金額、≪証拠省略≫によって認められる「本件売買契約を買主が違約する時は手附金取戻しの権利を放棄するものとし、売主が違約の場合は手附金の倍額を買主に支払う」旨の売買契約書中の手附に関する文言及び後記五の項で認定のように、被控訴人が建築並びに土地売買を業とする者で、本件土地も宅地造成のうえ他に転売する目的でこれを買い受けたものであることを綜合して、本件手附契約に関する当事者の意思を推察すると、本件手附の性格はいわゆる違約手附であり、損害賠償額の予定としての手附に該当するものであるが、その中でも本件売買契約関係をそれによって清算せんがための賠償額の予定の性質を持つものと認めるのが相当である。(この点に関し当審における控訴、被控訴各本人尋問の結果〔いずれも第二回〕によれば、契約当事者は本件手附に関する約定の上述の意味を双方ともに明確に認識していなかった実情にあることがうかがえるが、このことがあるからといつて、他に特段の事情がない以上、当事者は手附契約の約定の文言に従う意思であつたと解するのが相当であるから、そのため直ちに右認定が許されないものとなる訳のものではないと考えるし、又原審並びに当審における控訴、被控訴人各本人尋問の結果〔当審分は第一、二回〕中には、手附金額が高額になつた点につき、被控訴人が契約後直ぐに本件土地から土を採取する特別な目的を持つていた事情があったためである旨の供述があるが、かような事情も、それだけではまだ右認定を動かすに足るものではない。)

そして以上のような性格の手附の場合、手附金を交付した買主が売主の違約を理由として手附金倍戻しの請求をするためには、売主の側に違約(契約不履行)の事実があることが必要なことは勿論であるが、請求の要件としてはそれだけで十分であり、そのほかに、売買契約解除の手続も(最高裁判所昭和三八年九月五日判決、最高裁民判集一七巻、八号、四八頁参照)、違約につき売主の側の責めに帰すべき事由の存在も、いずれも必要でないと解するのが相当である。

四、そこで本件において売主の控訴人に違約(契約不履行)の事実があるといえるかの点につき検討するが、前記一記載の当事者間に争いのない事実並びに本件売買契約締結の経緯として認定した前記二記載の事実及び≪証拠省略≫に弁論の全趣旨を綜合すると、本件土地については前記のとおり、本件売買契約締結の当時まだ控訴人の所有権取得登記手続がなされていない状態にあつたが、その後売買契約で定められた被控訴人に対する移転登記手続の期限当時においても、更にその後五年余が経過し、前記農地買収の時点からすればもはや二〇年余の歳月がすでに経過した現在に至つても、依然として右いずれの登記手続もやはり行なわれないままの状態にあり、果してその登記手続が可能なものかどうか、可能としても一体その実現の時期は何時になるのか、結局現在に至るまでその見通しはつかないままの状況にあることが認められ、この認定を動かすに足る証拠がない。従つて控訴人から被控訴人に対してなさるべき所有権移転登記は、その実現がまだ客観的には絶対不能なものとまではいえないとしても、取引上の通念からすれば、現在ではそれはもはや実現の不能なものというべきであり、履行不能の債務というほかはない。してみると、本件土地の売主として控訴人は、買主の被控訴人に対し、所有権移転登記手続を行なう債務につき違約(履行不能)の状態にあるものというべきである。(なお、控訴人は移転登記が被控訴人にとつてとるに足らない事柄である旨を主張するのでここで付言するが、後記五の項での認定のように、被控訴人は宅地造成のうえ他にこれを転売する目的で本件土地を買受けたものであり、土の採取を主な目的とするものではなかつたのであるから、移転登記は被控訴人にとつて重要な事項であり、決してとるに足らない事柄とはいえないものである。)

五、しかして、不動産の売買契約に即していえば、民法五六一条にいう「他人の権利の売買」とは、当該不動産の所有権が他人に属する場合の売買のみでなく、その登記名義が他人のもので、不動産の買受人が第三者に対しその所有権取得を対抗できない場合の不動産の売買もこれに該当するものと解すべきであり(大審院昭和一二年九月一七日判決、大審院民判集一六巻、一四二四頁参照)、本件土地の売買契約においては、前記のとうり、登記名義が売主の控訴人にはないのであるから、この売買に対しては右五六一条の規定が当然適用されることとなる。ところで控訴人は、本件売買契の当時登記名義が控訴人にないことは被控訴人が知つていたのであるから、同条但書により損害賠償(違約金)の請求は許されない旨を主張する。そして前期認定のとうり、登記名義が控訴人のものでない事実は、当時控訴人が被控訴人に対し告知しているのであるから、被控訴人は当然その事実を知っていたものというべきであるが、しかし次に説示するところから結局この点の控訴人の主張は採用できないものである。すなわち、≪証拠省略≫を綜合考察すると、被控訴人は建築並びに土地売買業者で、本件土地も宅地造成のうえこれを他に転売する目的で買受けたもので、控訴人主張のように土の採取を主な目的とするものではなく、従つて前記のとおり、移転登記を受けることは当然契約の重要な事項に属するものであること、本件売買契約に関し紛争が発生して後本訴提起前においてすでに、被控訴人が控訴人に対し手附金倍戻しの要求に及んだ事実があることなどが認められる。(≪証拠判断省略≫)のでこれらの事実と、前記のところから明らかなように、被控訴人が登記名義が控訴人にないことを知りながらあえて本件売買契約を締結したものであることとを綜合すれば、本件手附契約は、特に控訴人の所有権移転登記などの不履行を慮り、それにより発生すべき損害の賠償を特約する趣旨のもとに当事者間に締結せられたものと推定するのが相当であり(当審における控訴、被控訴各本人尋問の結果〔いずれも第二回〕に対する判断は前期三の項における判断と同一である)、しかも一方民法五六一条但書の規定は任意規定であるから、これと異なる特約があればその適用が排除されるものと解すべきであるが、右のような本件手附契約の約定はその特約に当るものと認められるので、右但書の規定は結局その適用を排除され、被控訴人の本訴請求の妨げとはならないものというべきである。

なお、当事者双方は本件売買契約上の債務(道路用敷地の調達、移転登記義務)の不履行につき控訴人の責めに帰すべき事由の存否、被控訴人からの本件売買契約解除の態様、適否などの点につき縷々主張し争つているのであるが、前期三の項における説示に照らして明らかなとおり、これらの点に関する判断は不必要なものと考えるので、その判断を省略する。

六、以上の次第で、被控訴人が違約金(手附倍戻金)二〇〇万円とこれに対する本件訴状送達の日(記録に徴して明らかである。)の翌日である昭和四一年七月三一日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める本訴請求は、全部正当であることが明らかであるから、これと同旨で本訴請求を認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、民訴法三八四条によりこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき同法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 合田得太郎 裁判官 谷本益繁 林義一)

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